寝不足




「…で?いったい、何の用な訳…?」


ソファーに座るコナンに尋ねる哀。

今日は訳あって学校の授業は午前中に終了。
阿笠博士は、友人との用事で外出。夕方まで帰って来ないそうだ。
特にする事も無く、暇だった哀は、APTX4869の解毒剤の研究をしようと思ったのだが、
そんな折りに突然コナンが阿笠邸に尋ねてきたのだ。

彼が連絡も無しにいきなり阿笠邸に来るのは、今に始まった事ではないが、
何の目的で来たのか、その意図が哀にはつかめなかった為、先程の質問をした。


「ん?何の事だ?」


しかし、当のコナンはとぼけた感じに答えた。


「とぼけないで。貴方が何の用事も無しにここに来る訳、無いでしょう?」

「ああ、そうだな…うーん…」


哀に尋ねられ、顎に手を当てて目を閉じ、考えるような仕草を見せるコナン。

まさか、本当になんの用も無しにここに来たのだろうか?

哀が半分そう思いかけた時、コナンはこう答えた。


「コーヒー…」

「え?」

「コーヒー飲みに来た」


何だ、そんな事か。

哀はそう思った。

コナンは、見た目は子供だが中身は大人の工藤新一だ。
当然、味覚も大人のまま。だからコーヒーを飲む。

しかし、外見が小学生であるが為に、探偵事務所でコーヒーを飲もうとすれば、蘭に注意されてしまう。

だからコナンは、コーヒーが飲みたくなった時には、
自分の正体を知っている阿笠博士と哀がいる阿笠邸にやって来て、
飲もうと決めており、今やそれが定番となっていた。


「分かったわ。じゃあ、ちょっと待ってなさい」


そう言うと哀はキッチンにまで行き、いつも通りの手順でコーヒーを淹れ始める。

だが、その時の哀がどこかウトウトした様子だったのを、コナンは見逃さなかった。



「…出来たわよ、工藤君」


しばらくして哀は、淹れ終わったコーヒーのカップを、コナンの前にあるテーブルに置いた。


「サンキュー、灰原」


礼を言いつつ、哀の淹れたコーヒーに口を着けるコナン。

いつもならここである程度飲んで口を放し、
そしてまた飲むと言った動作をするのだが、今日のコナンは違った。

彼は、コーヒーを一口、口に含む度にカップから口を放し、
また一口口に含んだらカップを口を放し、を何度も繰り返すのだ。


まるで、味を確かめるかのように。



「……?」


当然、その様子に哀が気付かないはずがなく、コナンの様子をジッと見つめる。
すると、コナンもその様子に気付く。


「なんだよ?」

「…いえ。何だかいつもの飲み方と違うな、と思っただけ…」

「そんな事か…俺だって、たまには一口ずつ味わって飲みたい時があんだよ」

「そう…なら良いけど…」


口ではそう返した哀だったが、それでもコナンには何か他に意図があるような気がしてならなかった。




「ごちそうさん。ほら、洗っといてくれよ」

「はいはい…」


それからコナンはコーヒーを全て飲み干すと、空になったカップを哀に渡す。
哀はそれを受け取ると、キッチンに向かい、カップを洗い始める。

ここまではいつもどおりだ。

だが、その時の哀の様子は、いつもと違った。

彼女は、いつも通りにカップを洗っているはずなのだが、
先程コーヒーを淹れていた時のように、何処かウトウトしていたのだ。

そしてウトウトする度に、カップを洗う手が止まり、
それに気付いて哀は急いで洗う手を動かすも、またウトウトし出して…を何度も何度も繰り返したのだ。


その様子を繰り返す事しばらくして、哀はカップを洗い終わり、
洗い終わったカップをシンクの上に置くと、次に自分の手を洗う。

そして、手を洗い終わって後ろを振り返った、その時だった。


「っ!?」


なんと、自分のすぐ後ろにコナンが立っていたのだ。

さすがの哀も、コナンがすぐ後ろにいたとは思っていなかった為に、驚きを隠せなかった。


「く、工藤君まだいたの!?」

「帰るなんて、まだ一言も言ってねぇぞ?」

「そ、そうだけど…えっ!?」


その時、コナンは突然哀の顔、特に目元辺りを見る。

これに哀は彼が何を考えているのか、分からなくなって来る。


それから、しばらく哀の顔を見ると、コナンは一言こぼす。


「やっぱりな…」


やっぱり?

何がやっぱりなのだろうか?

この時点の哀には何の事だかさっぱりだったが、
今のコナンの表情は事件現場で犯人が誰なのか、確信が付いた時のものと同じであった。


つまり、彼は自分に対する何かの確信を得たと言う事。


だが、今の彼が何の確信を得たのかは、哀には分からなかった。



「やっぱりって…何がやっぱりなのよ、工藤君?」


自分の中の疑問を、コナンにぶつける哀。
すると、コナンは今の表情を崩さないまま、こう答えた。


「おめぇ…最近寝てねぇだろ?」

「え…?」


思わぬコナンの言葉に、目を丸くする哀。

その言葉を理解するのに哀は少し時間が掛かったが、すぐにその意味を理解した。


「…何の事かしら?」

「とぼけたって無駄だぜ。
コーヒーを淹れる時、おめぇはウトウトしていた。
さっきそのカップを洗っている時も、ウトウトしてるだけじゃなく、手の動きも度々止まっていた。
しかもさっき淹れたコーヒー。いつものおめぇが淹れているのにしちゃ、少し苦みが強かった。
そして極めつけは、ここ」


そう言ってコナンは、自分の目の下を指差しながら、こう続ける。


「目の下、隈出来てるぜ」

「え…?」


コナンにそう言われ、哀は自分の目の下を指で触る。

コナンの言うとおり、彼女の目の下には隈が出来ていたのだが、
今の本人の様子を見る限りどうやら気付いていなかったらしい。


「おいおい、鏡で自分の顔ちゃんと見てたのか?結構目立ってるぜ」

「…はあっ」


哀は負けたと言わんばかりに、溜め息を吐くと、コナンを見ながらこう言った。


「さすがは平成のホームズさん…よく分かったわね」

「伊達に探偵やってる訳じゃねぇからな」

「…でも、おかげではっきりしたわ。貴方が急にここに来た理由が…私が寝不足かどうか、確かめに来たんでしょ?」

「ああ。おめぇ、最近ダルそうにしてたからな。
そのうえ目の下に隈が出来てたから、まさかと思ってな…」

「なるほど…」


さすがは日本警察の救世主と謳われた高校生探偵、工藤新一。
見抜ける所は、とことん見抜いて来る。

哀はそう感じた。


「…で?どうしたんだ?」


突然、真剣な顔付きでコナンが聞いてくるので、
哀は「何が?」と素っ気なく答えると、コナンは哀に質問する。


「おめぇが昼間ウトウトする程になるまで、夜更かししている理由だ」

「あら?それは貴方が一番良く知ってるんじゃないの?」

「解毒剤の研究か?」


そう、哀は寝る間も惜しんで、APTX4869の解毒剤の研究をしている。

哀が解毒剤の研究の為に徹夜をしているのは今に始まった事では無いのだが、
最近はそれが極端に多くなっていたのだ。


「そうよ。貴方がいち早く元に戻れるよう、寝る間も惜しんでやってあげてるの。
だから、少しは感謝しなさいよ?そのおかげで、試作品が何度か出来ているのだから…」


そう、哀はコナンが出来るだけ早く工藤新一に戻れる様、
寝不足の体に鞭打って、解毒剤の研究をしていた。


全ては、自分の作った毒薬により縮んでしまい彼への、せめてもの償いの為に…


「確かに、そうだったな。でも…」


哀の言葉に、コナンは何か含む様子を見せる。


「でも…なに?」

「俺の為に、寝る間を惜しんで解毒剤の研究をしてくれてる事は、感謝するよ。
でも、少しは自分の体を大事にしたらどうなんだ?」

「え…?」


コナンの思いがけない言葉に、哀は驚く。
そんな中、コナンはこう続ける。


「確かに俺は、早く工藤新一に戻り、蘭を安心させたいと思ってはいる。
でも、おめぇが体壊して、倒れちまったら、それもそれで迷惑だ。
最近のダルそうな様子と、さっきウトウトしていたを見るに、これ以上徹夜で研究やってたらいつか必ずぶっ倒れるぞ」

「あら、心配なのね?私が倒れたら、元に戻れなくなるから…」

「違げぇよ…と言いたいけど、それもあるのは事実だ。
でも、それだけの理由じゃねぇってのは胸を張って言える。
考えてみろ、もしおめぇが倒れちまったら、博士や歩美達はどう思う?きっと心配するだろう」

「そうでしょうね…」


冷静に、それでいていつも通りのすました様子で答える哀。

コナンはそんな哀の様子を見ながら、表情を変えずに話しを続ける。


「だろ?みんなに余計な心配を掛けない為にも、俺はそうするべきだと思う。
実際、歩美も最近のおめぇの様子を見て、心配していたし…」

「あら、吉田さんも気付いていたの?」

「ああ。実は、最初におめぇがダルそうにしてた事に気付いたのは、歩美だったんだよ。
それで、俺も何か変だと思い出して…」

「そうだったのね…吉田さんも意外と侮れないわね」

「んな事より、灰原。さっきも言ったが、俺は早く戻りたいとは思っている。
でも、おめぇに倒れるほど無理させてまで戻りたいとは思っていない。
だから、たまには解毒剤の研究、休んでも構わないんだぜ?」

「…………………」


コナンは気遣いの言葉を掛けるが、哀は押し黙ってしまう。

そんな哀を見ても、コナンは特に表情も態度も変えないまま、
彼女に背を向け、玄関に向かって歩き出しながらこう言った。


「ま、俺が言いたいのはこれだけだ。…邪魔したな、灰原。そろそろ帰る」

「そう…気を付けてね、工藤君」

「ああ」


そうして、コナンは玄関の向こうへと消えて行った。


「…はあっ」


コナンが去ったのを見ると、哀はソファーの前まで移動し、そして溜め息を吐きながらその上に横になる。

それから、心の中で呟く。


「(工藤君…貴方は何も分かっていない…
私は、貴方の為なら死ぬ覚悟でいる。 そう、解毒剤の研究も一緒…例え、この身がボロボロになろうと、絶対に完成させてみせる)」




でも…






〜午後9時頃〜


「おや?哀君、もう寝るのか?」

「ええ、今日は早く寝たい気分だから…
博士も、今日は友達と付き合って疲れているんだから、早く寝なさい」

「あ、ああ…」


たまには、彼の言うとおりにしてみるのも、悪くないかもしれない…



終わり...

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