「じゃあ、今日も行ってくるから藍、家の事は任せたわよ」

「分かりました。では行ってらっしゃいませ、紫様」


妖怪の山の何処かの家に住む、スキマ妖怪八雲紫(やくもゆかり)は、
自身の式神八雲藍(やくもらん)にそう言い残すとスキマを開き、その中へと姿を消す。

普段、眠ている事が多い紫はここ最近、外に出かける事が多くなった。
何でも、空に奇妙な黒い大穴が空き、そして幻想郷を飲み込むほどに大きくなったかと思えば、
勝手に消滅したあの不可解な異変以来、
幻想郷のあちらこちらで世界同士の境界線の緩みが発生しているとの事で、
直接出向いてそのチェックと修正に行っているのだとか。

まあ、境界線が操れる唯一のスキマ妖怪で、
尚且つ幻想郷を誰よりも愛する彼女ならではの行動だが。


「さて、それよりも紫様の家のお掃除をしなければ。彼女が帰るまでに済ませないと、傘叩きの刑だからな」


そう言うと藍は、紫の家の掃除に向かう。

そしてまずは居間の掃除に向かったのだが?



「うわぁ・・・」


居間に入った途端、藍は唖然とした。
何故ならそこには、紫のご飯の食べ残しやら、
彼女が香霖堂から買い漁って来たと思われる、
外の世界の携帯ゲーム機とその対応ソフトやら、
本やらその他もろもろが散乱していたのである。


「毎日見る光景だけど、相変わらず酷い・・・」


そう呟くと藍は、そそくさとそれらを片付け始める。


「全く・・・どうして紫様は、こういつも自分だけ楽しむだけ楽しんで、散らかすのやら・・・」


思わず愚痴をこぼす藍だったが、すぐに自分の発言無いように気付き、フルフルと首を横に振る。


「いけないいけない!私は何を言っているんだ?
紫様の式神でありながら、彼女に対して愚痴るなんて・・・」


今度は両手でパシパシと自分の両頬を軽く叩くと、藍は今の掃除に集中する。

と、その時だった。


「藍しゃま〜!いる〜?」


玄関の方から、自分の名前を呼ぶ少女の声が聞こえて来る。
その声は、藍にとって聞き覚えのあるものだった。


「この声は・・・。ああ、いるから上がってこい」

「は〜い」


その声が聞こえると、居間に猫の耳と2本の猫の尻尾が特徴的な少女が1人入ってくる。

藍の式神、橙(ちぇん)である。


「今日も来てくれたのか、橙」

「はい。だって、藍しゃまを手伝うことは良い事なんでしょ?」

「そうだ。さすがは私の式、良い子だ」


そう言って橙の頭を撫でる藍。
それに対し橙は嬉しそうな顔をしている。

藍は橙のその姿が可愛いと感じたが、
それと同時に彼女には自分の式神らしく、
いつもこんな風にちゃんと自分の言う事を聞いてくれたら良いのにとも思った。


「藍しゃま、私は何処をお掃除すれば良いんです?」

「私はこの辺りの掃除を続けるから、お前は向こうの掃除をしてくれ」

「は〜い!」


橙は元気に返事をすると、居間の反対側の部屋へ行こうとした。


「あ、ちょっと待て」


だが、そんな橙に藍は待ったをかけた。


「な、なんですか?」

「間違っても大きな棚の上とかを掃除しようとするな。
この前何があったのか、お前は覚えているよな?」

「あ・・・」


そう、この前橙が紫の家の掃除を手伝いに来た時、
ちょっとしたトラブルがあった。

それは、橙が大きな本棚の上を掃除しようとした時に、
その上に置かれていた置物が落ちてきて、橙の頭にぶつかったのだ。

幸いタンコブが出来ただけで済んだのだが、
その際に橙は痛さの余りに大泣きしてしまった。
その時の彼女の姿は藍にとって痛々しいものであり、少し辛いものがあった。

それから彼女は家中棚の上を調べてみると、恐ろしい事に置物以外にも、
包丁や鈍器の類まで見付かったもので、
あの時橙に当たっていたのが置物(置物でも当たり所が悪いと大惨事になるが)
じゃなかったらどうなっていたかと思うと、藍はゾッとした。

さすがにこれには何か言っておかないと危ないと感じた藍は、
その後紫に指摘し、彼女もそれを了承するような発言はしたのだが、
あの何を考えているのか分からないご主人の事だ、また何か置いているに違いない。

そう思って、今回の彼女に念のため警告しておくことにしたのだ。


「覚えてますよ、藍しゃま」

「そうか、よろしい。それじゃあ、行ってこい」

「は〜い♪」


そう返すと橙は居間の反対側の部屋へと消えていった。

そして、再び居間で1人になった藍は、また主人の行動について思い出した。


「紫様ったら、棚の上にあんな危ないもの沢山置いて・・・
相変わらず何を考えているんだか・・・
橙がいらない被害を被ってしまうから、本当に止めて欲しいものだ・・・」


そう愚痴をこぼす藍。
だが、今度は先程のように自分の発言を咎め様とはしない。

こればかりは、正しい事なのだから。







それから数時間後。

藍が橙に警告した事もあってか特に何事も起こる事も無く、紫の家の掃除は全て完了した。

そして、それと同時に藍の不安は取り越し苦労だった事も判明した。
彼女が橙に代わって棚の上を掃除したところ、全ての棚の上に物が一切置いていなかったのである。

これを見た藍は、少しでも主人を信用しなかった自分に、少しだけ嫌気が指した。

まあ、とにもかくにも、こうして掃除が終わった訳だが、
そのせいで2人、特に棚の上まで全部掃除した藍は、大いに疲れ果ててしまった。


「はあ、はあ・・・お、終わった・・・」


そう言って綺麗に片付いた居間の床の上に思い切り寝転がる藍。
無論、橙も同じだった。


「ぜえ、ぜえ・・・そ、そうですねぇ・・・」


疲れた声で返す橙。そしてその直後藍は、こうこぼした。


「喉が渇いた・・・」

「そう言えば・・・そうですね・・・」


そう、かれこれ数時間、
ぶっ通しで掃除し続けていた彼女らは、飲み物の一切を口にしていなかった。

その上、今日は妙に暑い日でもある為、乾いて当然であろう。


「橙・・・水を持って来てくれ・・・」

「は、は〜い」


橙は元気無く返事をすると、水を取りに居間から出る。

それからしばらくすると、戻ってきたのだが。


「藍しゃま〜」

「ん?持ってき・・・え!?」


戻って来た橙の持っているものを見て、藍は驚き飛び起きる。

橙が持って来たもの、それは酒が入ったやや大きめの酒ビンだったのだ。


「ちぇ、橙・・・その酒は?」

「え、コレ?水を取りに台所行ったら見付けたの」

「見付けたって・・・いや、それよりも、どうしてそれを持って来たんだ?」

「ら、藍しゃまと飲もうと思って・・・」

「はあ・・・」


それを聞いて藍は、「相変わらずこの子は私の言う事を聞かないで勝手な事を・・・」
と心の中で呟き、同時に呆れた様子で溜め息を吐く。

その様子を見た橙は、恐る恐る藍に聞く。


「だ・・・ダメですか?」

「ダメだ。全く、私は水を持って来てくれと言ったのに・・・」

「で、でも私、お水よりこっちの方が飲みたい」

「橙、昼間から酒は体に良く無い。
それに酒も飲み物とは言え、飲んで酔っ払ってしまったら、体が火照って返って熱くなってしまうぞ」

「うぅ・・・で、でもぉ・・・」


藍の言葉に、橙は悲しそうな顔をする。
その顔を見た藍は、少しだけ心を揺さぶられるが、
何とかしてそれを振り解く。それから橙に歩み寄ると、彼女の持つ酒ビンを取り上げる。


「あ!」

「橙、コレは恐らく紫様のお酒。彼女のものを勝手に飲んだりしてはいけない」

「で、でも、ちょっとだけなら・・・」

「ダメなものはダメだ。とにかくコレは台所に戻して来るぞ」


そう言って藍は、酒ビンを戻しに台所に行こうとしたが、橙はそれを許そうとしない。


「ヤダヤダヤダー!藍しゃまと一緒にお酒飲みたい〜!飲みたい飲みたい飲みたい〜!!」

「・・・・・・・」


そう喚きながら藍の足に纏わりつく橙。
それを藍はあえて無視して、台所へ向かう。

だが、それでも橙は藍に付き纏う。


「ねえお願い藍しゃま!お酒飲もうよ!お願いお願い!!」

「・・・・・・!」


それでも藍は無視して歩き続けるのだが、やはり橙は纏わりついて来る。

そして、自分の足元で喚く彼女の声を聞いている内に、藍は何だか可哀相になって来た。
だが、それでも藍は無視しようとする。

彼女は八雲紫の式神。
八雲の式なら彼女の式らしく、主人の酒に手を出さずちゃんと元の位置に戻すのが自分の役目。
しかし、もしもこれで酒を戻してしまったら、橙はどんな顔をするだろうか?
少なくとも、泣きながら「藍しゃま何て大嫌い!!」と言って来るのだろう。
それもそれで、何だか悲しい。
マタタビを使って機嫌を取れば良いのだろうが、
自分のせいで橙が泣いた事実は消えないだろうから、何だか納得がいかない。
だが、それだと八雲の式としての職務を全うできなくなる。
でも、この前の事もあるし、これ以上橙が泣く姿を見たくない。


"橙の笑顔を取るか?"

"紫への忠誠心を取るか?"


考えて行く内に藍の頭の中で、2つの選択肢が出来、彼女はどちらを選ぶのか迷い始める。

そして?





「・・・ん?」


藍は突然、台所のすぐ手前の所で足を止めた。


「ら、藍しゃま・・・?」


いきなり主人が足を止めるとは思わず、驚きと同時に藍の名前を呼ぶ橙。
すると藍は、そのままの姿勢で橙に言った。


「橙・・・」

「な、なんですか?」

「分かった。お前がそこまで言うのなら、そうするよ」

「え?そ、それじゃあ・・・!」

「飲んでも良いぞ」

「やったー!」


酒を飲む許しが出て喜びながら飛び跳ねる橙。

だが、そんな橙を制止するかのように藍は、
「ただし!」とやや張り上げた声で言うと、こう続けた。


「本当にちょっとだけだぞ?」

「うん!分かってるよ!」

「それじゃあ、コップとせん抜きを持って来てくれないか?」

「は〜い!」


先程のように元気良く返事をすると、橙は目の前の台所に入って行く。
それからすぐに、「持って来たよ〜」の声をあげながら、
2人分のコップとせん抜きを持って戻って来た。


「それじゃあ、居間に戻ろうか?」

「うん!」


そして居間に戻る為、台所に背を向けて廊下を進み出す2人。

だが、その最中藍は少しだけ頭を抱えていた。


「(はあ・・・まただ・・・)」


どうして私は橙に甘いのだろう?

藍はそう思っていた。
主人にも指摘されているが、ここ最近の自分は橙に甘過ぎる。
もっと前はきびきびと振る舞えたはずなのに、
今となっては彼女に泣き疲れるとこの有り様だ。

何故だろうか?

確かに彼女は、甘やかしたくなるほど可愛らしいのは確かであるが。

とにもかくにも、今回の酒の件で紫様からお咎めを食らうのは確実であろう。


藍がそのような事を考えている内に、2人は居間に到着。

それからすぐに、藍と橙はちゃぶ台に歩み寄ると、
まずは橙がその上にコップとせん抜きを置いた後、ちゃぶ台の前に座る。
その次は酒ビンを持った藍が、橙の置いたせん抜きを使い、ビンの蓋を外す。
そして、その中の酒をちゃぶ台の上のコップの中に注ぐ。

それから、コップに酒を注ぎ終えると、藍もちゃぶ台の前に腰かける。


「それじゃあ、頂くか」

「は〜い!」


そうして藍はゆっくりと、橙は一気に目の前にあるコップの中の酒を飲んだ。


「ん?藍しゃま!このお酒・・・」

「ああ、美味しい」


2人はその酒の味に驚く。
その味は、もう一杯くらい飲んでみたい気を起こさせるほどのものだった。


「藍しゃま、もう一杯飲んでも良いですか?」

「ああ、私ももう一杯欲しくなったし・・・あれ?」


その時、藍の頭に疑問符が浮かぶ。


「(そう言えば、お酒を飲む事に関して、紫様に何か言われていたような・・・)」


藍は何を言われたのか、思い出そうと記憶を辿るが、中々思い出せなかった。


「・・・藍しゃま?」


と、その時橙に声を掛けられ、藍の思考は記憶の中から引き戻される。


「あ、なんだ橙?」

「どうしたんですか?急に?」

「いや、何でもない。ちょっと考え事をしていた」

「そう。なら良いですよ。それよりも早くの見ましょうよ」

「あ、ああ・・・」


まだ少し引っ掛かる所がある藍だったが、
まあ良いかと思って、再びコップに酒を注ぐと橙と一緒にそれを飲む。

すると、さすがに二杯も飲んだせいか、2人は体が少しだけ暖かくなり、ほんのりと頬が赤くなる。


「ヒック・・・ちょっと酔っちゃったかも・・・」

「ああ・・・ヒック・・・そうだな橙・・・」

「うぅ・・・私、これ以上飲めない・・・」

「そっか・・・でも、"俺"はまだ大丈夫だぜ。だから、もう一杯頼む」

「え?」


その時、橙は藍に違和感を感じた。


「(あ、あれ・・・?さっき藍しゃま、自分の事"俺"って言った?)」


それになんだか喋り方がちょっと変わったような。

酔い始めているのだろうか?橙はそう考えた。


「どうした橙?早く酒入れてくれよ」


と、橙が考え込んでる姿を見てか、藍は急かすように橙にそう言った。


「あ、ごめんなさい・・・でも、大丈夫ですか?」

「ん?ああ・・・さっき俺がちょっとだけとか言ったからか?」


またしても俺と言う一人称を使う藍。
そんな藍に違和感を感じつつも、橙は「う、うん・・・」と言いつつ首を縦に振る。


「ん〜・・・確かにこれ以上飲んじゃまずそうだな・・・
んじゃあ、次で最後にするわ。"仏の顔も三度まで"って言うし」

「分かりました!」


次でおしまいと聞いて、橙は安心しながら藍のコップに酒を注ぐ。
そしてそれを見た藍は「ありがと」と、橙に軽く礼を言うと、三杯目の酒を飲み干す。

すると、当然の事ながら藍の体は更に熱を帯び、頬も先程より更に赤くなり少しだけ広がる。

その顔や、先程の一人称俺からさすがの橙も、
もういい加減酔いが回って来ている頃だろうと言う事が分かった。
その為、今の一杯が最後だと思うと、内心ホッとした。

まあ、本人自身が先程昼間に酒を飲むのは良くないと自分で発言したくらいだから、
その辺自制出来て当然だろうが。


・・・と、思われたのだが?



「カッ――――!うめえ!実に美味い酒だぜ!橙、もう一杯!!」

「え?」


1人大声で歓声を上げながら放った藍の言葉に、橙は我が耳を疑った。

もう一杯?

これでおしまいじゃなかったのではないのか?


明らかに矛盾している発言をした藍に橙は聞いた。



「ら、藍しゃま・・・?」

「あん?何だ橙?・・・ヒック!」

「今ので最後じゃなかったんですか?」

「ああ・・・ヒック!
ついさっきああ言ったけど、飲んだ途端気が変わってなあ・・・もっと飲みたくなっちまったんだよ」

「え・・・ええ?!」


手の平を返したかのような主人の発言に、驚きを隠せない橙。

それと同時に、藍の口調にますます違和感を覚える。

何だかさっきより男臭い喋り方になってるような。


「なんだ?文句でもあんのか?」


驚いた橙を見て、不機嫌そうな顔をする藍。
その顔を見た橙は、言いたい事はあったものの、
とりあえず逆らわない方が良さそうだと考えた。


「え?あ、いや!ありません!」

「じゃあ、早く酒注いでくれや・・・ヒック!酒をよ!」


そう言いながら、藍は空になった自分のコップを橙に差し出した。


「は、はい!」


そうして、差し出されたコップに酒を注ぐ橙。

それを見るや否や、藍はそれを一気に飲み干す。

すると、彼女の顔そのものを赤くせんと言わんばかりに、頬の赤みがより広がり、
更にその表情も何だか出来上がり始めていた。

そんな主人の様子に、橙は不安が隠せないでいた。


ここまでくれば酔いも相当なものだろう。
だとすれば、もうそろそろこの辺にした方が良いのでは?

昼間の酒が体に悪いのなら尚更だ。


「プハッー!うめぇ!うめぇぞぉー!!」


そんな自分の式の心配など余所に、藍は出来上がった顔で再び歓声を上げる。

それを見た橙は、今だと言わんばかりに待ったを掛けようとする。


「あの〜・・・藍しゃま?」

「なあ橙・・・紫様ってズリィーよな?」

「え?」


だが、藍がそれをかき消すかのように、何の突拍子の無く疑問を投げかける。

紫様がズルイ?

いったいどう言う意味だろうか?


「どうした?」

「いや・・・紫しゃまの何がズルイのか、分からなくて・・・」

「はあ?決まってんだろ?ヒック!
こんなにうめぇ酒を自分用に取ってるのがズルイって言ってんだ」

「は、はあ・・・なるほど」


これまた唐突に自分の主人に対する愚痴を言い出す藍に、橙は無難にそう返す。
だが、その後も藍の紫に対する愚痴は続く。


「だろぉ?
たく、こっちは毎日汗水垂らして家の掃除とかしてやってるってーのに、自分はグーたら寝てばっか。
おまけに何かアイツ、私がちょっとでも自分の意にそぐわない事したら、
式神らしくない行動は慎めとか言って傘で叩いてくるし・・・
しかもそこまでしおいて、私への見返りもほとんど無し!
それなのに自分だけこんなにうめぇ酒を沢山飲んでるなんてよぉ・・・
アイツは、自分さえ良けりゃそれで良いだん」

「・・・・・・・・・」


藍の口から長々と吐き出される紫に対する不満を聞いて、橙は辛くなった。

まさか、自分の主人が酔っ払っただけでここまで酷くなるとは。

それに何よりも辛かったのは、文句1つも言わずに忠実に紫に仕える彼女が、紫に対する不満をぶちまけ来たこと。
誰かの元に仕えている者なら、こう言った不満を抱えているのはある意味当然なのだろうが、
それでも紫に忠実に従っている主人の姿にカッコ良さを感じていた橙にとっては、苦痛以外の何者でもなかった。

そしてそれと同時に彼女は思った。

これ以上藍に酒を飲ませたら、更に恐ろしい変貌を遂げてしまうかもしれないと。


「ああチクショー!ヒック!アイツの事話してたら、ますます酒飲みたくなった。
橙・・・もう一杯・・・ヒック!」


そう言ってドンと言う音を立てながらちゃぶ台に倒れこみ、そしてコップだけを差し出す。


「・・・あん?」


だが、コップに酒が注がれるような感触が無かった為、コップを見てみると、確かにコップは空のまま。
そして、彼女のコップに酒を注ぐ役である橙は、酒ビンを持ったままその場でジッとしていた。


「おい橙!ヒック!ボサッとしてないで酒入れろや!」


乱暴に叫ぶ藍。だが、橙は首を横に振り、それを拒否した。


「何のつもりだ橙・・・?ヒック!」

「ら、藍しゃま、もうこれくらいにして下さい」

「あ?なんで?」

「だって藍しゃま凄く酔っ払ってます。それに昼間のお酒は体に悪いんですよ?」

「ああ・・・確かそうだっけなあ・・・でも、俺ぁ酔っ払ってなんざいねえよ、ヒック!
まだまだいけるから大丈夫だ」


"酔っ払っていない"

藍自身はそう言っているが、その表情は明らかに酔っ払っていた。

その為、橙は拒否を止めない。


「だ、ダメです!もうこれ以上お酒は飲まないでください!」

「なんだと・・・?!」


その時、酒を注いでくれない事に痺れを切らした藍は、
急に立ち上がると、橙の顔のすぐ近くにまで自分の顔を近付けると、
恐ろしく怒った表情で彼女の顔を睨み付けた。


「ひっ!」


余りにも恐ろしい主人の顔が至近距離にまでやって来たもので、橙は怯え体が固まる。

だが、そんな彼女の反応などお構い無しに藍はこう言い放つ。


「おい橙!お前俺の式神だろ!?
俺の式なら俺の式らしく、酒注げって言われたら酒注げ!分かったか!?」

「・・・・・・」


その主人の言葉を聞いて、橙は言い返したかったものの、
酔っ払っている主人は相当気が立っているようで、
おまけに余りにも今の藍の顔が怖いために、結局橙は何も言い返せなくなってしまった。


「どうした?」

「・・・わ、分かりました」

「そうか・・・ったく、最初からそうすりゃ良いんだよ。それじゃあ・・・」


そう言って藍は再びちゃぶ台の前に戻り、腰掛けると橙に向けてコップを差し出した。


「酒入れてくれや、酒・・・ヒック!」

「は、はい・・・」


暗い声で返事をすると、橙は渋々ながら彼女のコップに酒を注ぐ。
そして、完全に注ぎ終えると、藍はまたそれを飲み始める。

そんな五杯目の酒を飲む主人の姿を、橙は無言で心配そうに眺める。


そして



この五杯目の酒が飲み終わった瞬間





橙の不安は的中する事となった。



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