「ただいま」


紫の家の玄関の前でスキマが開き、その中から境界線のチェックに行っていた紫が帰ってくる。


「全く、今日も緩んだ場所が多くて修正に疲れたわ」


いったいどれくらいあるのかしら?

疲れた自らの肩を叩きつつ、そう思う紫。


こんなにも境界線の緩みが多いのでは、
幻想郷の住人がふとした事で知らない世界に飛ばされてしまう可能性が非常に高い。
そうなっては一大事だ。

境界線の緩みの修正だけでなく、飛ばされた人を探しに行かねばならないのだから。

と言っても、実はついこの間、
境界線の緩みに飲み込まれた幻想郷の住人が、ほんのわずかながらいた。

それは橙の親友のご主人様達なのだが、彼女に頼まれてからかれこれ一週間。
どの世界を覗いてもそれらしき者が見付からないでいたのだ。

もしも今週も探して見付からないのなら、あの次元の狭間の街に住む彼に強力を煽ろうか?

そんな事を考えながら家に入る紫。

すると彼女は、ある異変に気付いた。


「誰も、いない?」


そう、自分が帰ってきたというのに、誰の出迎えも無く、玄関が静かだったのだ。
いつもなら藍が「おかえりなさいませ」と言って出迎えてくれるはずなのに。

家の掃除に疲れて、寝ているのだろうか?

紫がそう思った、その時だった。




ガシャアァァァァァン!!!!


「!?」


突然、奥の方から何やら凄い音が聞こえてきた。


「にやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


そして今度は、慌てた様子で橙が飛び出してくる。


「あ!ゆ、紫しゃま〜!!」


それから玄関の紫の姿を見つけるや否や、
急いで彼女の元に歩み寄り、おびえた様子で彼女の後ろに隠れるような形を取る。


「橙。今日も来ていたのね」

「は、はい。それよりも大変なんです、紫しゃま」

「大変?さっきの音の事かしら?」

「そうなんです!実は、藍しゃまが・・・藍しゃまが・・・!」

「え?藍がいったいどうし・・・」






うがああああああああああああ!!!!!!


その時だった。
紫が藍の事を橙に聞こうとした途端、
大声で叫びながら家の奥にある居間の戸をブチ破り、藍が飛び出してきたのである。


「ひっ!」

「ら、藍!?」


彼女が飛び出したと同時に、橙は怯えて紫の後ろに顔を引っ込め、
紫も自分の式のありえない登場の仕方に、さすがに驚く。


「ヒック・・・あん?あぁ!やっと帰って来やがったか〜、このババア・・・!」


紫の存在を見つけると、藍は真っ赤な顔呂で紫を指差し、
呂律の回らない声で乱暴にそう言い放つ。

これにさすがの紫も、少しだけキョトンとした表情を見せる。


「え?」

「"え?"じゃねえやこのババア!
・・・ヒック!今日もまた自分の家の仕事を俺に押し付けやがってよお・・・ヒック!」

「ば、ババア?俺?ま、まさか・・・」


藍のその一言に、紫は彼女の身に何が起きたのかすぐに気付き、そして橙尋ねた。


「橙?」

「はい?」

「彼女、お酒飲んだでしょう?」

「え?そ、それは・・・」

「飲んだでしょう?」

「は、はい・・・
私が貴女のお酒を見付けて、それで藍しゃまに頼んで一緒に飲んでいたんですけど・・・」


それを聞いた紫は、「やっぱり・・・」と言うと続けてこう聞いた。


「それで?いったい何杯くらい飲んだの?」

「ご、五杯です・・・私は止めるたんですけど、何だか怖くて・・・」

「しょうがなく飲ませてしまった訳ね?」

「は、はい・・・」

「はあ・・・だからあれほど酒は一杯だけにしろと、彼女には言っておいたのに・・・」


呆れた様子で頭を抱える紫。その姿を見て橙は聞く。


「や・・・やっぱりマズかったですか?」

「ええ。橙、貴女には話し忘れていたけど、実は藍には1つ大きなバグが存在しているのよ」

「お、大きなバグ?それは何ですか?」

「それは彼女はお酒を飲んで酔っ払うと、自分の中で抑えていたもの・・・
特に私に対する不満やイライラが爆発してしまうと言うものよ」

「え?そ・・・それじゃあ、二杯目から藍しゃまが変わり始めたのはやっぱり・・・」

「そう。彼女は一杯だけ飲んだけならまだ大丈夫だけど、
二杯目を飲んでから一人称と口調が微妙に変わり出して、
三杯目になると口調が完全に変わり、
本性が露わになる1歩手前の四杯目では、私に対する愚痴を喋りだし、そして五杯目でこうなる訳なのよ」

「な、なるほど・・・」

「・・・おい!


と、橙に説明する紫の姿を見て痺れを切らしたのか、藍は乱暴に声を出す。
無論、その声を聞いて驚いた橙は、怖がり再び紫の後ろに隠れる。

その姿を見て藍は物凄く不満そうな顔をする。


「テメぇ!俺の前でのん気にお喋りとは良い度胸じゃねえか!それと橙!ヒック!」

「な・・・なんですか・・・?」


いきなり自分の名を呼ばれ、橙は返事をする。

すると藍は不満そうな表情を崩さないままこう言った。


「なんでそんなババアの後ろにいるんだ!?」

「そ・・・それは・・・」

「そんな式使い荒いババアなんかに着いて無いで、こっち来いや!お前俺の式だろ?・・・ヒック!」

「そ、それは・・・」


その言葉を聞いて橙は一瞬迷うが、紫は彼女を止めるように手を出す。


「え・・・?」

「橙、この藍の言う事は聞いては駄目よ」

「で、でも・・・」

「良いから、ここは私に任せなさい」


紫はそう言って、橙をその場において1人藍に歩み寄る。


「ゆ、紫しゃま・・・」


「あん?なんだぁ?」

「藍、もう止めなさい。橙が怖がっているでしょう?」

「はあ?いきなりこっち来て何言い出すかと思ったら・・・ヒック!
ババア風情が俺様に命令すんじゃねえっつーの!」

「あら?貴女いつから私にそんな口が利けるようになったのかしら?
いつもならここで素直に聞いてくれる所なのだけれど?」

「うっせー!!」


紫の言葉に藍は不機嫌な顔をして声を張り上げる。

それから彼女は、紫を指差してこう言った。


「紫ババア!貴様には前々から言いたかったんだが、テメぇ毎日毎日式使い荒いんだよ!
自分の家の掃除とかくらいロクに出来ねーのかクソババア!!」

「あら、それはごめんなさいね。でも私はいつも忙しいから、そっちに手が回らないのよ」

「"私はいつも忙しい"?はあ?
いつもいつも寝たりゲームやったりして過ごしてる癖して、良く言うぜクソババが。
ちったあ使われてる方の身になって考えてみやがれやボケ!」


溜まりに溜まった主人への不満をブチ撒ける藍。
主人の変わり果てた姿に、橙は目と耳を塞ぎたくなる。

だが、酔っている故に彼女の事になど気付かないまま、
藍は千鳥足で紫の周りを歩きながら、そして嫌みったらしい顔で彼女に対する不満を吐き続ける。


「それになんだ?
この前棚の上に刃物とか置物とか危ないモンいっぱい置きやがって、この非常識が!
アレのせいで俺の可愛い橙が死ぬかもしれなかったんだぞ?!」

「だからあの後貴女に言われて、棚の上には何も置かないようにしたわ。
今日掃除をしたのなら、その事に気付いたでしょう?」

「ああそうさ!今日は何にも無かった!でも何考えてんだか分かんねえ貴様のこった!
またいつか気まぐれでまた何か置くつもりなんだろ?・・・ヒック!」


主人の言葉を聞いても、紫がまた同じ事をすると言い張る藍。
当然、これに紫は反発する。


「確かに、私は気まぐれだけれども、そう言う他の人に危害が及ぶような事はさすがにもうしないわ」

「口先だけなら何だって言えるさ!
アンタはいつもいつもつかみ所の無い事ばっか言ってるから、何考えてんのか分かり難いんだよ!
もう少し分かりやすく意思表示とか出来ねえのか?
あ、そっか!ババアだから自分の考えを上手く表現できねえんだな?アーハハハハハハハハハハハハ!!」


「ら・・・藍しゃま・・・」


1人勝手に自己解決するかのようにして大笑いをする藍。
もはや目も当てられない様な主人の有様に、橙は今にも泣きそうになる。

その一方、それを聞いた紫は表情1つ変えずにこう言った。


「藍・・・貴女が私に不満を持ってる事は良く分かったわ」

「へえ・・・そうかい?」

「ええ。でも、何とも自分勝手な発言ね。
それに、紫ババアやクソババアも聞き捨てなら無いわ」

「はあ?何言ってんだテメぇ?自分の非を認めねえってか?
それにどんなに呼び方が違えど、ババアはババアだろ?・・・ヒック!」

「私が非を認めてない?いいえ、私は自分の非は認めてるつもりよ。
それを貴女は納得しようとしてないだけ。
後、確かに私は気の遠くなる程長生きしている年寄りだから、ババアと呼んでも構わないわ。
でも、同じババアでも良い呼び方と悪い呼び方があるものよ?」

「たく・・・まぁたクソババアの戯言かよ・・・ヒック!下らねえ・・・!」

「"クソババアの戯言"?"下らない"?・・・フフフフ」


その時、藍の暴言を聞いた紫は笑い始める。それも、不気味な笑顔で。

さすがの酔っ払って豹変している藍も、主人のその表情に少し驚く。


「な、なんだ・・・!?」

「なるほど、貴女は余程私にお仕置きされたいのね?」

「お仕置き・・・ああ、傘叩きの刑か?
けっ!またそれかよ!また式らしくないっつって、暴力振るうのかよ!」

「あら?でも貴女は私の言い付けを破って、お酒を五杯も飲んだのよ?
しかも、私を紫ババアやクソババア呼ばわりをしたどころか、
言いたい放題に言いがかりもつけて・・・仕置きを受けるには十分過ぎるわ」

「おいおい!半分私情入ってんじゃねえか!
何でテメぇの都合で俺が殴られなきゃいけねえんだよ!このクソババアァァァ!!!!」


そう叫ぶと藍は、いきなり紫に飛び掛る。
だが、それを読んでいたかのように、紫はヒラリと身をかわす。

そして標的に避けられた藍は、そのままビタンと大きい音を立てて床にぶつかった。


「イタッ!」


酔っ払っているのからなのか、全身が叩きつけられて痛むのからなのか、
藍は物凄くフラフラした様子で起き上がる。


「ら、藍しゃま・・・!」


心配そうに彼女の名を呼ぶ橙。
一方で藍はと言うと、起き上がるや否やキッと紫を睨みつける。


「テメぇ!避けるなんざ卑怯だぞ!!」

「何を言っているの?目の前でいきなり相手が飛び掛って来て、避けようとしない方がおかしいわ」

うるせえぇ!!


藍は叫ぶと、再び紫に向かって飛び掛る。


クソババ紫が!!!ぶっ殺してやる!!!!


恐らく一番言ってはいけない暴言を吐き出しながら、徐々に紫との距離を詰めて行く藍。

そんな彼女を見て、紫は若干顔を引きつらせながら言う。


「なるほど・・・貴女がそんな事を言うなんて・・・
本当は傘叩きだけで済ませたかったのだけど、そこまで言われると致し方ないわね!」


そう言うと紫は、片手を前に出すとそれを勢い良く縦に振る。

すると彼女の目の前に、両端に赤いリボンが着けられ、中に無数の目玉が見える不気味な空間の裂け目が出来る。

スキマだ。


「あ・・・」


それを見た藍は止まろうとしたものの、
既にかなりの勢いが付いていた為に急に止まれず、そのまま一直線にスキマの中へ突っ込んでしまった。


「うわあああああぁぁぁぁ・・・・・・!」


そしてスキマへ突っ込んだ藍は、悲鳴を上げながらスキマの中へ姿を消していった。


「・・・・・・!」


まさかの事態に橙は唖然とする。

だが、そんな彼女の事などよそに、スキマを開けた張本人紫は笑みを浮かべる。


「うふふ・・・頭に血が上って私の能力をすっかり忘れていたようね?
私は逃れる事の出来ない、スキマの使い手である事に・・・」


そう言いながら紫は、藍の消えたスキマを見ながら、何か考え始める。


「さて・・・これからどんなお仕置きをしてあげましょうかしら?
少なくとも私の式でありながら、紫ババアやクソババアと言ったばかりか、
殺すとまで言ってきたのだから、それなりにキツイのが必要ね。フフフフフフ・・・」

「ゆ、紫しゃま・・・」


真っ黒な笑顔で藍への仕置きを笑い持って考える紫。

その姿は恐ろしい以外の何者でもなく、
そんな彼女を見て橙は、先程の酔っ払った藍以上の恐怖を感じ、背筋に寒気を感じる。


「・・・決まった。今日のお仕置きは、"アレ"にしましょう」


今日の藍への仕置きを決めた紫は、自らスキマの中へと入り、その姿を消した。


「あ・・・」


それを見た橙は恐る恐ると彼女の入ったスキマに近付く。

すると、最初は静かではあったが、しばらくすると?




うぎゃあああああああああああああああああ!!!!


「ひっ!」


スキマの中から藍のものと思われる断末魔に近い悲鳴が聞こえて来たもので、
橙は驚き思わず後ろに飛び跳ねる。

そして、その悲鳴が聞こえなくなると、辺りはまた静かになる。


「・・・・・・?」


橙はそーっとスキマに顔を近づける。

すると?




「にゃっ!?」


突然スキマから大きな何かが飛び出したもので、橙は驚き、素早く後ずさる。
すると、スキマから飛び出した何かはドスンと音を立てて床に落ちた。

そして、その飛び出してきたものは、橙にとって見慣れたものだった。


「ら・・・藍しゃま?」


そう、それは先程スキマに飛び込んでしまった藍であった。

どうにもスキマの中で相当のお仕置きを受けたらしく、
その体はズタボロで、特に頭には五段ほどにまで積み重なったタンコブが出来ていた。

そして彼女は意識を失っているのか、
先程暴言を吐きながら暴れていた姿は何処へやら、グッタリと倒れたまま身動き1つしていなかった。


「あぁ・・・」

「全く・・・余計な力を使わせないでほしいものね」


と、愚痴交じりな事を言いながら、スキマの中から紫も姿を現し、それと同時にスキマも閉じて消滅する。


「ゆ・・・紫しゃま!藍しゃまは・・・?」

「大丈夫。手加減はしたから、命に別状は無いわ」

「よ、よかった・・・」


主人の安否を聞かされて、ほっと胸を撫で下ろす橙。

だが、そんな彼女に対し、紫はこう言った。


「それよりも、これで分かったでしょ?藍に酒を飲ませるのが、どんなに危ないことなのか・・・」

「う、うん・・・紫しゃまも怖いけど、酔った藍しゃまもとっても怖かった・・・」

「でしょう?だから、これからは藍と一緒にお酒を飲もうなんて言っちゃ駄目よ?分かったかしら?」


紫の言葉に橙は首を縦に振りながら「うん」と返す。

それを見た紫は、こう切り出した。


「さ、それよりも藍を部屋に運ぶわよ。こんな場所で放って置いてはいけないわ」

「は、はい!」


紫は藍の両脇に腕を通し、橙は藍の両足を掴んで持ち上げ、そのまま彼女を部屋に運ぶ。

そしてその途中、橙は紫にある事を聞く。


「あ!そう言えば紫しゃま」

「何かしら、橙?」

「いったい、藍しゃまにどんなお仕置きをしたんですか?
何だか凄い声が聞こえて来ましたけど・・・」

「ああ、アレ?それはね・・・」

「それは?」





「乙女の秘密よ」




「・・・・・・・・・・」








それから、4時間が経った。


「う・・・うぅ〜ん・・・・・ん?」


藍は目を覚ます。

始めは起きたばかりで頭がボーっとしていたが、
しばらくすると彼女は自分の部屋の布団の上で寝ていた事に気付いた。

だが、それを知った藍は違和感を覚えた。

私はいつから自分の部屋にいたのだろうか?
確か、橙と一緒に居間で酒を飲んでいたはず。

酒?


「(そうだ!私は橙と酒を飲んでいて、そして二杯目を口にして・・・それで・・・えっと・・・)」


どうしたのだっけ?

それ以降の記憶が完全に飛んでしまっている。


藍は必死に思い出そうとしたが、なかなか思い出せない。

そんな彼女が、自身の記憶を探っていたその時だった。


「やっと目が覚めたのね」

「あ・・・」


聞き覚えのある声がして、その声がする方を見ると、
そこには自分の主人である紫と、自分の式である橙が布団の横に座っていた。

だが、紫はともかく、何故か橙は少し怯えたように紫にしがみ付いていた。

いったい何を怯えているのだろうか?

藍は少し気になったが、今はそれよりもいつの間にか帰ってきていた主人の事の方が大事だった。


「ゆ、紫様!?お戻りになられていたのですね!」

「ええ」

「・・・・・・・」


先程の事もあり、そのやり取りを心配そうに見る橙。
一方で紫は特に何も無かったかのような顔をしており、
藍の方も完全にいつもの藍に戻っている様子だった。


「それよりも紫様、私は何故ここにいるのですか?」

「あら?覚えていないの?」

「はい・・・」


それを聞いて橙はそれに反応。
思わず本当の事を話そうと、動こうとしてしまうも、紫が無言で手を出して静止させる。

それから彼女は、こう答えた。


「私が帰ってきたとき、貴女は居間で寝ていたの。
それで何があったのか橙に聞いてみたんだけど、彼女が言うには貴女、
二杯以上も酒を飲んで酔っ払って寝ちゃったらしいじゃないの」

「は、そうだ!今思い出した。私は二杯以上酒を飲んだら、そう言う事になるんだった!」

「貴女・・・自分でその事忘れていたの?」

「は、はい!申し訳ありません!」

「・・・まあ、そう言う事があって、
眠っている貴女を私と橙でここまで運んで、布団用意して寝かしてあげた訳。分かったかしら?」

「は、はい」


紫の言葉に納得の表情を見せる。

その様子を見て、橙はほっと安堵する。

そして紫に気を取られて彼女の様子に気付いていない藍は、
すぐに申し訳の無さそうな表情をしながらこう言った。


「それより、申し訳ありません、紫様!私は貴女のお酒を・・・」

「それも橙から聞いたわ。
全く駄目じゃないの、自分の式を甘やかしちゃ・・・これでいったい何回目なのかしら?」

「も、申し訳ありません紫様!貴女様の仕置きならいくらでも受けて差し上げます!ですからお許しください!」


布団の上で土下座しながら紫に自分への仕置きを請う藍。

それを聞いて、橙の表情は焦りの色を見せる。

彼女は2時間前にすでにキツイお仕置きを受けたばかりだと言うのに、
またしても仕置きをされたいと言うのだ。

いくら大妖怪、九尾の狐である彼女でも、
二度もお仕置きを受けては体が参ってしまう。

しかし止めようにも、恐らく紫に待ったを掛けられてしまうだろうと思い、
橙は黙ってその場で見ているだけしかなかった。


「そうね。貴女は私の式でありながら、命令違反を犯した。傘叩きの刑を受ける必要があるわね」


そう言うと紫はスキマを開き、その中から折りたたんだ傘を取り出す。


「さて・・・覚悟は良いかしら?」

「既に出来ています・・・!」

「よろしい。それじゃあ・・・」


土下座したままの姿勢で答える藍。それを見た紫は、傘を振り上げる。

そして、今から痛々しい事が目の前で起こると感じた橙は、目をつむり、
藍も痛みに耐える準備のためか目をつむる。

だが?







「・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・あれ?」


痛くない?

何故?


違和感を感じた藍は目を開け、橙もそれに合わせるように目を開ける。

すると、彼女らの目の前に、片手に持った傘を肩に乗せてつつ自分達に背を向けた紫の姿があった。


「ゆ、紫様・・・?」


予想外の事態に多少動揺しつつも、藍は紫の名を呼ぶ。

すると紫は、顔だけを藍に向けてこう言った。


「・・・今日は止めとくわ」

「え?」


信じられない主人の言葉に、藍は驚きを隠せない。


「な、何故ですか!?私は貴女の命令を・・・」

「確かにそうだけど、何だかやる気が失せちゃったわ。さっきキツイお仕置きをしたから」

「はあ?」


主人のその言葉に首を傾げる藍。

さっきキツイお仕置きをした?

いったい何を訳の分からない事を言っているのだろうか?


「ふあぁ〜あ・・・
そんな事よりも、境界線のチェックと貴女の看病してて疲れたわ。ちょっと寝てくるわ・・・」

「あ!ちょ・・・」


と、藍は紫を引き止めようとしたが、紫はそれを無視して藍の部屋から立ち去った。


「行ってしまった。全く、相変わらず何を考えているのか良く分からないお方だ・・・」

「そ、そうですね・・・はあ・・・」


今までの緊張が取れたのか、橙は藍の言葉に返事をすると、溜め息を吐いて脱力する。


「ど、どうした橙?まさか・・・」


「まだ酔っているのか?」藍は心配そうにそう声を掛けるが、橙は大丈夫だと返す。

そして橙はすぐにこう言った。


「それよりも、藍しゃまが元に戻ってよかった・・・」

「はあ?」


主人に続き、自分の式の不可解な言葉に首を傾げる藍。


「橙・・・お前までいったい何を変な事を・・・うっ!」


とその時、藍は突然頭が眩み、頭を押さえる。


「ど、どうしたんですか!?」

「いや・・・急に頭がクラクラして来て・・・」

「頭が?」

「ああ・・・しかも何だか体が・・・特に頭がとても痛い・・・」

「頭が痛い?・・・あ!」


その発言を聞いて、橙は先程の事を思い出す。

どうやら、さっきの紫の仕置きのダメージが、藍の体に痛みとなって残っているようだ。


「どうした?何か心当たりでもあるのか?」

「あ、いや・・・き、きっとお酒のせいですよ!お酒の!」

「ああ、なるほど・・・それなら、もう少し寝ていた方が良いか?」

「え、ええ・・・」

「よし、それじゃあ・・・」


そう言うと藍再び寝る為、布団の中に潜り込む。

その様子を見て橙は、上手く誤魔化せたと内心ほっと安堵する。



それから、再び眠りに着く主人を見て、橙は誓った。



これからは、藍にお酒を飲ませるような事態を起こさないと・・・




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